祖国と国旗・武永賢氏

祖国と国旗・武永賢氏
2月2日日月曜日晴れ ○
祖国と国旗について、ベトナムより七回もの脱出に失敗した後、合法難民として我が国に留学中だった長兄に呼び寄せられる形で一九八二年に十七歳で来日し、その後、医師になり帰化した武永賢氏(ベトナム名ヴー・ダン・コイ氏)はその著書「それでも日本人になった理由」(ポプラ社 平成十三年)刊に「祖国と国旗」として下記のように書いています。

<(船医として乗船していた調査船で)元旦の食堂には、正面の壁に日本国旗が飾られていました。
私はそれをみて非常に嬉しく思いました。
私にとって「国旗」は特別な意味を持っているのです。

国旗は、現実に祖国が存在し、自分が無国籍でないことを肯定してくれる象徴です。
祖国、南ベトナムにいた時代、私は学校の道徳や倫理の時間に「愛国心を持つように」と教わりました。
ベトナム人としての誇りを持つ事。国旗や国歌を愛する事。
小学校低学年という年齢ですから、とても率直にこれらの教えを受け入れました。
ただ、小さい頃に教え込まれた愛国心を実際に抱いた事は、ベトナムを出る十七歳まで一度もありませんでした。
来日して三年めの夏でした。東京で五十カ国もの国々から青年が集まり、政治、経済、国際問題等をテーマに討論して交流するイベントが開かれました。私を含め日本に定住している六人がそのイベントに参加しました。このような催しは私たちにとって、難民の状況を多くの人に知ってもらう願っても無いチャンスです。
二週間に渡る交流は、世界一周旅行をしたと同じくらいさまざまな意見や考えに触れる事ができて、とても有意義な経験になりました。
ただ、悲しい出来事も体験しなければなりませんでした。
イベントの期間中に行われるセレモニーでは、参加している若者たちの国の国旗がそれぞれ掲揚されました。
私の祖国はベトナムです。しかし、今あるベトナム社会主義共和国でなく、民主主義のベトナム共和国が祖国だと考えています。ですから、現政府が管理するベトナム社会主義共和国の国旗をどうしても認めたくはありませんでした。
国旗を認めてしまえば、現政権を認めてしまうのと同じになってしまいます。自分が難民となった事実を否定する事になりかねないのです。私だけでなく、多くのベトナム人が難民となって味わった苦労、再教育キャンプや獄舎に送られて死んで行った人々の思い、それらを無駄になってしまいます。
しかし、もはや存在しないベトナム共和国ですから、その国旗も存在しません。
結局、主催者側がベトナム難民の私たちに最高の理解を示してくださり、ベトナム社会主義共和国の国旗は掲揚されない事になりました。表向きはベトナム人の参加者は一人もいない事になったのです。
勿論、私たちはこの温かい配慮に納得するつもりでいました。
それでもやはり、ふるさとはありながら祖国が無い悲しみがぐっとこみ上げてきてしまいました。そして、祖国南ベトナムが無性に恋しくなりました。ベトナム共和国の国旗は、黄色地で、真ん中に赤く細い線が三本、横に引かれています。
閉会式の際、掲揚されていた数多くの国旗を見つめながら、とても惨めになりました。泣き顔の私に気づいたのでしょう。あるアメリカ人の友人が近づいてきて私に声をかけてくれました。
「あなたの祖国は、あなたの心の中だけではなく、あなたの友達である私たちの心中にも生きています。あなたの祖国南ベトナムを奪う事は誰にも出来ません」
ベトナム難民として日本に暮らす私は日本に定住しているけど日本人ではなく、ベトナム人であるけれどもベトナムを捨てなければならなかった。いわば無国籍状態の人間。イベント期間中、帰る祖国がある周りの参加者に嫉妬さへ覚えてしまっていたのですが、彼の言葉のおかげで、なんとか平静さを取り戻す事ができました。
このように祖国への思い、愛に気づいたのは日本に来てからなのです。
略)
一九九四年、丁度医者になった年、私は日本国籍を取得しました。
私は、ベトナム人ヴー・ダン・コイから武永賢(たけながけん)という名前の日本人になりました。
略)
元旦の白嶺丸の食堂で日本を国旗を見て嬉しくなったのは、氷の世界の南極で自分の国となった日本を改めて認識することができたからです。
略)
日本の社会で、良き一人の人間として日本人から認めてられれば、結果的にはよき一人のベトナム人であるとも認めてもらえるのではないか。
略)
申請が認められたときは、宙ぶらりんの無国籍状態から国籍が取得できた喜び、選挙に行ける喜び、税金を払って日本に恩返しできる喜びで私の心は満たされました。>
P一七八〜一八九
そして、武永氏は下記のようにも書いています。
<今、私に求められているのは、自分のバックグラウンドではなく、医師としての腕なのです。
だから、私が医者として毎日一生懸命に仕事をして、その事が評価されれば、必然的に「良きベトナム出身の日本人」として認められる事でしょう。>
P二二八
nihonjin27.2.3
引用「それでも日本人になった理由」(ポプラ社 平成十三年)刊より

「良き日本人」と認められるように仕事をする。こういった方に日本人となって頂きたい。

我が国に住みながら、我が国に忠誠を誓う事も無く、権利だけを主張して生きている人間のクズどもはさっさと「偉大なる祖国」に帰って頂きたいものです。

doahoukusotyousenjin26.10.9.1

kitigai27.2.3 KUSOKITIGAI26.12.31

 

あほらし。

今日は部屋で一日中本を読んで終わる。
酒は飲まず。